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2012年12月18日 (火)

マタビシ

 確かザイール出身と思いますが、ZAOという二人組のグループがいて、「パトロン」という歌を歌っていました。1991年の年明けあたり、ザイール西部のキンザオ-ブエテというキャンプにいたころ、誰かが持っているCDか何かでその歌を聴き、皆で大いに盛り上がりました。「パトロン ドネ・モア・マタビシ」と言いながら始まる歌で、現地のワーカーに聞かせると、いやな顔をしていましたっけ。パトロンと云うと、何か勘繰りたくなる言葉ですが、英語でいえばボスみたいなもので、雇用主・上司などもパトロンに相当します。キャンプでは、現地ワーカーにとってプロジェクト・マネージャーの私がパトロンでした。先回、このマタビシのことを書きましたが、マタビシという言葉は賄賂でもあり、ちょっとしたお土産とかおこずかい、ご褒美などにも使います。だから歌詞は「パトロン 何かちょうだい」とでも訳すのでしょうね。

91年の4月に帰国する途中、ベルギーのブリュッセルに降り立ち1泊しました。プロジェクトの共同企業体を組んだ日商岩井の駐在員の計らいで市内見物をしたついでに、レコードショップに寄って、このCDを見つけうれしくなって早速買い求め、日本に帰ってよく聴きました。ザイールの前は、「インド洋の貴婦人」と称されたモーリシャス島にいたのですが、不思議なことに、暴動・マラリア・湾岸戦争・油不足・泥棒などに悩まされたザイールの方が余程思い出深いものがあります。外国のどこに行きたいと聞かれたら、いの一番にザイール(現コンゴ民主共和国)を挙げるでしょうね。もっとも今はまだ政情不安定で、行くことはかなわないでしょう。

ザイール西部チェラ(1990年10月9日 暴動の後) 90年も夏になると、各地で独裁者モブツ大統領に反旗を翻す暴動が起こり始めました。キンザオ-ブエテから100km程離れたチェラの町に第2ベースキャンプを置いていたのですが、銃撃戦を伴う暴動がおこり、一時プロジェクトが止まりました。10日ほど後にチェラを視察した時の写真です。生々しい暴動の痕でした。

901009tshela

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