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2012年11月30日 (金)

ワンゲルのころの料理

 これも山の話ですが、同じ題名では面白くないので変えました。学生の頃のワンゲルでは、十数人でワンパーティなものですから、料理には大鍋が欠かせませんでした。その頃は横長のキスリングザックが主流でしたが、大鍋はさすがに中には入らず、ザックの外にくくりつけて登りました。かっこが悪いのでだいたいは新入生の役目でしたね。コンロはホエブスと云ってガソリンコンロです。それで毎日朝晩飯を炊き料理をこしらえました。もっとも多かったのはカレーです。山ではキジライス(意味はご想像ください)と呼んでいました。豚汁や闇鍋も多かったですね。肉はみそ漬けにして持って行きました。山の合宿は1~2週間ほどかかりましたので、食糧を運ぶのも大変でした。野菜も生のまま運んだのですよ。新入生ですとザックの重量は40kg程にはなりましたね。

 朝は、ご飯とみそ汁、漬物で、昼の握り飯の分もご飯を炊きます。まだ暗い時間に起きて飯を炊き、朝ごはんを食べて握り飯を握ります。朝日があたり始めるとテントをたたみ、装備を整えて出発です。十数人ですと6人用テントでは2~3張りになります。テントも新入生が担ぎますが、最後にたたむテントを背負いたがりました。少しでも日があたったほうが軽くなるのです。6~7時間歩き続け、昼は1時間休みです。この時、朝握った握り飯を食べるのですが、よく見ると握り飯の中に黒いものが点々とあります。ブヨが多かったですね。でも、皆文句も言わず「なあに、動物蛋白だよ」と云って食べたものでした。懐かしい思い出です。

紅葉の林(2012年11月24日 裏妙義) これだけ見事な紅葉の林の中を歩くのも珍しいことです。この紅葉もあと10日もすると皆散ってしまいます。

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2012年11月28日 (水)

山の話(2)

 巷では、滋賀県知事が選挙直前で新党を立ち上げ、小沢を飲み込むとか飲みこまれるとか、騒がしいことです。いまさら何を・・・、と言いたいのですが、ぐっと我慢して今回も山の話です。秋田大学ではワンダーフォーゲル部に入部しました。ホームグラウンドは太平山・鳥海山でした。太平山は秋田市内からよく見えて、ワンゲルでは新入生歓迎や追い出し登山はこの山でした。ブナのきれいな山でしたね。登山道が仁別・八田・皿見内・野田・石見三内とあり、標高は1170mと、それほど高くはないのですが、コースごとに変化に富んでいて、飽きない山でした。とくに石見三内の紅葉の頃はきれいでしたね。仁別はトロッコの軌道を延々と歩いたことを覚えています。皿見内と野田が最もポピュラーなコースでした。八田コースは、完全縦走で、長かったですね。

 鳥海山は標高2236mで、純粋な東北では最も高い山です。秋大ワンゲルは、海抜ゼロmの象潟から歩いて登らされました。秋田を朝早く出て、象潟から歩き始め、標高1700mの御浜で1泊し、翌日千蛇谷か外輪山を歩いて頂上に立ち、七高山から祓川に下りてまた1泊、3日目はまたまた歩いて矢島の駅までたどり着くと云うコースか、逆のコースが定例でした。今は私自身とてもできませんから、2003年に登った時は、象潟-鉾立と祓川-矢島はタクシーを使いました。秋大ワンゲルは今も全コース歩いているのでしょうかね。まあ、学生の特権であるともいえるでしょう。

チョウカイフスマ(2003年8月12日 鳥海山外輪・七高山)チョウカイフスマは鳥海山の固有種で、北海道の雌阿寒岳には近似種のメアカンフスマがあります。ナデシコ科で、あまり目立つ花ではありません。

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2012年11月26日 (月)

山の話

 役人や外国のことを非難することもそろそろ飽きてきました。しばらくは、私自身のことを記します。ここ2回はカメラの話をしました。カメラや写真が趣味の一つであるのは、私が山に登るからです。山の花の美しさ・可憐さにひかれるからです。でも、最初からそうではありませんでした。私が山に登るようになったのは高校生のころです。最初は秩父や神奈川県内の低い山でした。そのころは登山靴など買えなくて、運動靴で登ったものです。高校3年の頃ですか、当時キャラバンシューズと云って、ナイロン地で底はゴムに滑り止めの金具がついたものをアルバイトの金をはたいて買いました。5~6千円くらいでしたかね。アルバイトが1日500円くらいの時でした。3年くらいは履きましたが、ナイロンが切れて底ははがれ水が漏れるようになり、大学生のころに皮のものに変えました。

 米軍放出品のテントも買いました。うれしくて自宅の庭にテントを張って寝たものです。母は家の中に入れようとしたのですが、父は放っておけと母に言ったとか・・・。このテントは、Gパンと同じようなズックでポールは鉄でした。2人用で小さかったのですが、今のテントに比べるとずいぶんと重いものでした。当時は山へ行くと云うよりも、いわゆるアウトドア派だったのかもしれません。飯盒と米・味噌などを入れたザックを担ぎ、あちこちの山や河原でキャンプしていました。この頃は体力もなくなり、テントを担ぐような山行きは無くなり、日帰りか小屋泊まりの1泊2日程度になりました。

丁須ノ頭(2012年11月24日 裏妙義) 群馬三山とは、赤城・榛名・妙義山のことです。妙義山は凝灰岩の山で浸食が激しく、硬いところと軟らかいところの差が見事にでます。この写真は、妙義山の西側にある山です。金づちのような形をしていて、上まで登ることはできるのですが、私は怖くて登れません。実は、高所恐怖症なのです。中学生のころ、房総半島の鋸山に登った時、オーバーハングの上で腰を抜かしたことがありました。それ以来の高所恐怖症です。

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2012年11月21日 (水)

カメラのこと(2)

 カメラがフィルムからデジタルに変わって、使い方が最も変わったのは枚数が多くなったことでしょう。フィルムの時は、フィルムは主にポジ(いわゆるスライド用)で、山に行くとき持っていくのは、日帰りではせいぜい36枚撮りを2本くらい、泊りがけでも3~4本程度でした。実際に撮るのは1~2本くらいで、多くても3本でしたね。枚数でいえば、40枚から100枚程度までです。それがデジタルになって2~3倍に増えました。フィルムの時は、シャッターを切るまでに光・風・構図などを測るのに時間をかけて、息を止めておもむろにシャッターを切ったものです。それがデジタルになって、無造作にシャッターを切るようになりました。しばらくしてそれではいかんと思い、フィルム時代を思い出してじっくりとシャッターを切るようにしてはいるのですが、それでも枚数ははるかに多くなりました。

 では写真の出来はどうかと云えば、今の方がよいと思います。腕がよくなったのではなく、多くの写真の中から選べるからでしょう。昔から「写真をうまくなりたかったら、シャッターを多く切れ」と云われたものです。フィルム時代は、現像代を考えるとそんなにたくさん撮れませんでしたが、デジタルでは現像にはお金がかかりません。カメラやレンズも進化して、フィルム時代のズームレンズなどはせいぜい2倍程度でしたが、いまや10倍も珍しくありません。昔の一眼レフはズームレンズよりも単焦点レンズを多く保有していましたが、今はほとんどズームレンズ1本で事足りるようになりました。良い時代になったのか、それともレンズを交換する楽しみがなくなったのか、よくわかりませんね。

紅葉と黄葉(2012年11月17日 群馬県・高倉山) 今にも降りそうな天気の中で、モミジの赤と黄が鮮やかでした。使ったレンズは18~180mm(35mm換算で36~360mm)という10倍のレンズです。昔には考えられないような高倍率です。

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2012年11月14日 (水)

カメラのこと

 私の趣味がカメラ・写真であることはブログをご覧になれば分かることです。カメラとの出会いは高校生の頃、父親のミノルタ16というカメラを借り出して写したことから始まります。小さな平べったいカメラで、現像し引き延ばすとザラザラした粒状感が残っているようなカメラでした。大学に入り、アルバイトをしたお金でオリンパスペンEEの中古を買い、これを山に持っていき、風景・花を撮り出しました。しかし、いかんせん固定焦点のカメラのため、花はきれいに撮れるとは云えませんでしたね。働くようになって、2年ほどしてから一眼レフを買いました。オリンパスOM-1です。このカメラで写すようになってから、現像・焼き付けも自分でやるようになりました。カラーまでやったのですよ。押し入れの中に道具を持ちこみ、四つ切までは焼けましたね。カメラ・レンズにもお金を大分つぎ込んだものです。

 OM-1は2003年まで現役でした。1998年にデジカメを買ってからも、山の写真はOM-1でした。しかし、デジカメが進化してくるとOM-1の出番は少なくなり、2003年にオリンパスE-10を購入してからは全く使わなくなりました。今でも時々取り出して、すべてのレンズを装着しシャッターを切ると云うことをしています。私の今のメインのカメラはオリンパスE-5です。サブとしてOM-D(E-M5)も使っています。今更フィルムカメラに戻ることはないのでしょうが、なぜかOM-1は手放しがたく、10本ほどのレンズとともに大事にしまいこんでいます。

浅間山(2012年11月10日 小浅間山から) 今のデジカメはこんな写真を撮ることができるようになりました。内蔵されたドラマチックトーンというフィルターをかけたものです。現実離れした怖い写真になっています。

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2012年11月 8日 (木)

真紀子がんばれ

 2日に新設予定の大学3校を開設不可とした田中真紀子文科相が、7日に全面降伏し認可すると表明しました。まあ、考え方は十分に理解できるのですが、根回しも何もなく急ぎすぎた結果でしょう。関係者や権益担保者がうようよいる海を、一人でモーターボートに乗って横切ったようなものです。反対が出るのは当然で、真紀子さんはそれを読めなかったのでしょうかね。それとも読んでいてなお不認可としたのでしょうか。それならそれでたいしたものだと思いますが・・・。大学のあり方に一石どころか、一岩を投じたことは間違いないのですから。真紀子曰く、大学が多すぎる、したがって学生や教員の質が落ちる、就職もできない、簡単に大学を作りすぎる、などなど。御説ごもっともでございます。考え方にはもろ手を挙げて賛成です。

 大学進学率が60%にもなるそうです。大学を出る学生は、当然ながら一流企業や公務員を目指します。でも、そんなに大勢が入れるわけがなく、入れない学生はニートになります。よくて派遣社員です。かといって、中小企業は人手不足です。こんなことは私の学生のころからあったわけですが、40年前とは学生の数も経済情勢も違いますからね。私は、はなから役所や一流企業に入るつもりはありませんでした。まあ、入ろうと思っても入れなかった、というのが本当のところでしょうがね。今の4年制の大学卒業生の質は、昔よりだいぶ落ちました。院卒で昔の学卒並みでしょうか。もっと落ちているかもしれません。これから大学も淘汰の時代に入ります。真紀子大臣には大学のあり方を含め、教育のことをよくよく考えていただきたいと思います。暴走真紀子がんばれ!!

落葉松黄葉(2012年11月3日 下仁田町・白髪岩) いよいよ紅葉の季節です。しばらくは紅葉の写真が続くでしょう。群馬県も、長野県に近い1000mを超えるような高地では、カラマツがたくさんあります。天然なのか植林なのかは定かでないのですが、秋の黄葉と春の芽出しの美しさは格別です。

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2012年11月 5日 (月)

大飯原発の活断層騒ぎ

 関西電力大飯原発の敷地内を走る地層の食い違いが、活断層かどうかで揉めに揉めています。これが活断層であれば、活断層を横切って敷設している冷却水用の配管に致命的なダメージを与えるので、直ちに原発を停止すべきだと云う意見があるようです。問題は二つです。一つは、地層の食い違いが地すべりによるものなのか、断層によるものなのかで、断層であれば活断層なのか古い断層なのかということです。また、もうひとつは、配管の損傷ということでしょう。昨日のTVニュースで、東洋大とかの先生が、「活断層であることは間違いないので、くだらん議論をせずにすぐに原発を止めるべき」のような発言をしていました。まるで今日にでも断層が動くような妄言ですね。まあ、学者なんてこんなものでしょう。一面的なものの見方で物事を論議するという、出来の悪さをさらけ出しています。活断層の定義すらままならないのに、すぐにでも活断層が動き大地震が起こるような発言は、人々を不安に陥れるだけでしょう。

 最初にすべきことは、配管をやり直すことです。それと同時にきちんと調査をして、活断層かどうかの結論を出せばいいではないですか。学者ではなく、地すべりの経験が豊富な地質調査会社が調査すれば、すぐにわかるでしょう。配管の技術では、今は少々の食い違いであれば損傷を受けないような配管方法があります。まず、できることからやることが必要でしょう。今原発を止めたら、それこそ明日の電気に困るのです。それを無視して何千年・何万年に一度起こるかどうかという活断層が怖くてすぐに原発を止めろと云うのは、現実を無視した学者のたわごとでしょうね。そんなことを云うのだったら、火山の麓には住めませんよ・・・。

原三角点(2012年11月3日 下仁田町・白髪岩、1512m) 白髪岩には日本に3カ所(あとは雲取山と米山)しか残っていないと云う原三角点があります。国土の測量が陸軍に移管される前に、内務省が明治15年に設置したものということです。頂上近くの岩場から見る景色は、さすがに原三角点の山だけあって見事なものでした。

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