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2012年3月13日 (火)

3.11から1年

 昨年の3月11日から、早1年がたちました。あの時、私は都内のお客さまを訪ねる途中でした。突然の大きな揺れに、目の前の細長いビルがまるで鞭のようにしなって見えたことをはっきりと覚えています、。その後、2時間ほど歩いて東京駅までたどり着き、地下通路に座り込んで、テレビに映る津波の映像に見入っていました。スマトラの巨大津波の記憶と重なりました。あれから、もう1年がたちました。11日のテレビは、朝から特集を組んで、現地からの中継も多くありました。その中で、女のアナウンサーか誰かが、現地に慰霊に来た被災者・被害者に「今のお気持ちはいかがですか?」などと、馬鹿なことを聞いていました。無神経・無教養・馬鹿の骨頂に見え、その日は以後テレビを見ませんでした。

 1年経ってもガレキの処理はほとんど進んでいません。宮城県女川町のガレキの量は、町が処理できる量の100年分以上だそうです。明治三陸大津波の時のガレキの量は分かりませんが、これほど多くは無かったでしょう。それだけ文明の発達によりガレキの量も増えたと云うことでしょうね。こうなると、地元自治体で処理できる量はたかが知れていると、算数を知らなくてもわかるはずです。日本全体で負担しなければならないのに、各地では処理の受け入れが住民の反対にあっているとか・・・。エゴここに極まれり。もはや、自治体が自主的に受け入れるというシステム自体に無理があるのです。危険な思想かもしれませんが、時限立法で非常事態と同じような強制的な手法が望ましいのでは、と思うこの頃です。

 ドナルド・キーンは、「復興の早さは、忘れ去る早さ」のようなことを書いていました。確かにそれはあるでしょう。もちろん、復興が遅ければいいというわけではありません。早い方がいいのですが、忘れ去られる早さを彼は恐れているのです。3.11の前日は「3.10東京大空襲」の日でした。B29数百機による無差別爆撃で、死者10万人と言われています。死者数は、震災よりもはるかに多いのですが、もはや取り上げるマスコミもほとんどないありさまです。うすら寒い気がします。

フクジュソウ(2012年3月3日 我が家の庭で) 例年よりも2週間ほど遅くフクジュソウが満開になりました。13日現在、我が家の梅はまだ一輪も咲いていません。

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