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2011年6月 7日 (火)

吉村昭の三陸海岸大津波

 遅ればせながら、吉村昭の「三陸海岸大津波、文春文庫」を読みました。明治29年(1896年)6月15日の津波、昭和8年(1933年)3月3日の津波、昭和35年(1960年)5月24日のチリ地震津波について調べ、記録したものです。明治29年と昭和8年の津波は、いずれも三陸沖の地震によって引き起こされたもので、今回の津波に共通するものがあります。興味深いのは、前兆現象として、井戸の水位低下、魚の豊漁、直前の砲声のような音と発光があります。これらの前兆現象は、今回もあったのでしょうか。ぜひとも知りたいと思います。明治29年の津波では、最大溯上高が50mにも達したことが書かれています。もしかしたら今回の津波はそれを上回るものがあった可能性があります。チリ地震津波では、津波がのっこのっこと来たとも書かれています。チリ地震津波は5月21日に起きた南米チリの地震が起こしたもので、津波は地球を半周して三陸を襲いました。気象庁は、この地震や途中のハワイの津波(23日、死者60名)を観測していたにもかかわらず、津波警報を出しませんでした。この点では人災ともいえるでしょう。

 救援活動は素早いものがありました。明治29年の津波では、翌日には東京に被害発生情報が達し、陸軍はただちに多数の軍医と治安維持のため憲兵を派遣しています。明治天皇は6月18日には侍従に慰問金をもたせ現地に向かわせています。昭和8年の地震と津波は、3月3日2時32分に地震があり、津波の第一波は3時頃です。その日の気温は氷点下10度ほどだったと記録されています。岩手県知事は4時には登庁し、情報を把握すると同時に陸軍と海軍に電話で救援を要請しています。海軍は飛行偵察をするとともに救援物資を積んだ駆逐艦・特務艦を多数派遣し3月4日には現地についています。阪神・淡路の時、知事から正式要請がなかったからといって自衛隊が動かなかったことがありました。今と軍隊・政治の仕組みが違うとはいえ、現地での臨機応変の処置がとれなかったことは情けないことです。今回はどうだったのでしょうか、いずれさまざまのことが明らかにされるでしょう。以前の震災・津波と違って、詳細な情報が残されているはずです。きちんと記録しておいて欲しいし、それを忘れないようにしたいものです。

ワダソウ(2011年5月21日 群馬県・高ジョッキ) ナデシコ科の花です。似た花にワチガイソウがありますが、ワダソウの花弁は先端がくぼんでいるので区別がつきます。

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